できそこないの男たち 男はいばるな! 女は余裕を持て!

昨日、ラジオで面白い話をしていたので書いておきます。
TBSラジオ ストリーム コラムの花道よりー

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)

今年、生物と無生物のあいだという大ベストセラーを書いて一躍脚光を浴びた筆者が、自ら出演して新作について語っていた。前作はなんと60万部近く売れたそうだ。生物学の本としては異例の大ヒットらしい。僕も気にはなっており、いつか古本で購入して読んでみようとは思っていた。(ベストセラーは古本になると叩き値で売られるからね)

この聞き捨てならないタイトル「できそこないの男たち」の内容はこんな感じだ。
元々、生物学的に見ると、男は最初いなかったという。生物が生まれてから10億年間位は女しか存在しなかったのだそうだ。メスは誰の力も借りずに自分の娘を産んで育てていた。その娘がまた娘を産むという繰り返し。つまり女系家族で成り立っていて、それでうまくいっていたというのだ。ならば、どうして男という存在が必要となり産まれてきたのだろうか?
筆者はアリマキという虫を例に挙げて説明をしていく。

アリマキの写真   名の通り、アリに似てるけどカメムシ科のアブラムシのことらしい。
アリマキという虫は2億5千万年前から現在に至るまでずっと女系一家。そうやって今も繁栄してるんだけど、ただ秋口くらいにになると例外的にオスを産む。どうしてか?それはやがてすぐに訪れる冬に備えてのものだという。
例えば、もし厳しい冬となって、彼女たちにとって抗体のない風邪ウイルスが流行ったとしよう。そうなればその種は全滅するしかないよね。それを避けるために自分の遺伝子と別のメスの遺伝子を掛け合わせて、別バージョンの自分をいくつか作っておくのだ。そうすれば、どれかは生き残る可能性が高くなって次の春も繁栄を続けることができるという寸法。つまりは命のリスク分散投資をするのだ。そこでオスの出番なんだけど、やることは自分の遺伝子を別の種に渡すただの使い走り。それだけのために産まれてくる。全ての男はパシリなのだ。アリマキのオスはメスに較べてか細くて弱々しい、取り柄はすばしっこく動けるだけ。当然のように厳しい冬を乗り切れるはずもなく死んでいくそうだ。春になれば、生き延びたメスはまたメスだけを産む。そうやって現在まで生き長らえたのだ。アリマキに限らず、生命は種を交配させる事で常に変化をしなくてはならない。それが出来なかった種は恐竜のように滅んでいったのだろう。
女は全ての生命の基本仕様であり、男は無理矢理作られたカスタマイズ仕様なので欠陥がかなりあるらしい。例えば男性ホルモンは女より免疫系を痛み付けやすいなど、寿命も短くなる傾向にあるのだ。
これは以前からよく言われてることだけど、すべての赤ちゃんは最初メスとして産まれてくる。そして7週間目に差が出始めるという。男は女性のものを無理矢理男性化していくので、その名残が残っているそうだ。例えば袋の裏筋(まじまじとご覧になって下さい) あれってもともと開いていたものを、慌てて縫い合わせてる訳だ。
そこで疑問が出てきません?。アリマキのオスはか弱いのに、何故人間の男は大きくて、筋肉があって強くなったのだろう?
そういえば、カマキリなんかもオスはメスに食われるっていうもんね?ここからは筆者の仮説だ。
それは女性が欲張りだったからではないかというもの。女性はただ遺伝子を運ぶ以外に男の使い道を色々思いついた。食べ物を持ってこさせたり、薪運ばせたり、家を建てさせたりと、弱いながらも力が強くて頑丈な男の遺伝子が必要とされ、今までに残ってきたというわけ。進化の過程で生き延びるためには男は強くなる必要があったのだ。なるほど。確かに女性は逞しいとよく言うよね。でも本来持っていた自分たちの領分を男に任せてしまった。楽をしようとした結果、当然、女も力を必要としなくなったので進化の過程でそれらを捨てていった可能性は多いにある。そこで大きな間違いが起こった。男は力を得たもんだから、勘違いをして威張り始めたんだな。力関係の逆転となりそれが今まで続いてしまったわけだ。(この辺からは僕の推論です。筆者は語ってませんでした)
とはいっても、今は再び女性が強くなって、権利を取り戻しつつあるのかもしれませんね。1970年代くらいまでは男尊女卑が酷かったけど、ウーマンリブ闘争が起こり、女性がやっと自分たちの権利を主張する時がやってきた。フェミニズム文化論が起きると、男もタジタジになっていった。(フェミニズム運動は個人的にはやりすぎと思ってますが)
女装や性転換が女より男に多いのは、基本仕様に帰りたい願望があるからじゃないか?とも言っていたが、ここからもっとも重要だ。女を無理矢理カスタマイズすることで、男の優劣の偏差はかなり大きくなりがちらしい。念を押しておきますが、あくまで生物学的観点からですよ。判りやすく書くと、天才と呼ばれるような科学者やアスリートなどの特別優れた存在は男から産まれやすいが、逆に精神異常者や変態などできそこないが産まれやすいのも男というわけだ。(大半は普通の男達です。)逆に女性は基本仕様であるがゆえに、突然変異的なことは起こりにくく、全体が平均的であり、欠陥品は産まれにくいという。(もちろん、例外はあります)そのことから、寿命はもちろんですが、運動能力や知能も総体的に女性の方が高くなるという。
なるほどねえ。これは一般論として成り立つような気がする。いつも世の中を混乱させるのは男である。僕たちがリスペクトするような天才芸術家は大概が男であり、この世を狂気に陥れる存在も男なのだ。そしてこの世は、つまり男性主導で成り立っている社会というのは、一部の優れた男によって支えられているという構図だ。その他、出来損ないの男たちはそれに気付かない、そして無意識なのか意識的なのか男は虚勢を張る事を覚えていったのかもしれない?自分たちの弱さを覆い隠す必要があった。男は強く逞しく頼りがいがあるように振る舞うのだ。なんとも意地らしく悲しい。一方、女は自然体で生きていける。つまらない虚勢など張る必要もない。あるとすれば、わざわざ男性社会に食い込もうとした場合においてのみだ。そんなこと男にやらせておけばいいものを。もちろん一概には言えないだろうけど・・・
男は普段は男らしく振る舞っていても、イザという時、緊急事態には全く頼りにならなかったりする。所詮、嘘っぱちの演技なのだから、そんなときに本来の弱さが出てしまうのだ。オロオロしたり、自暴自棄になったり、酒浸りになったりしてボロが出てしまうわけ。反対に女はそんな時、でんと構えていられる。本来の強さが浮き上がってくる。そうなのだ。普段、女は男が男らしくいられるように弱さを装う知恵を持っているわけだ。それには大きな理由がある。(この辺からの解釈は精神分析の神・岸田秀先生の考えが混じってます。)子孫繁栄のためだ。つまり男を立たせるためにはやむなしと本能的に判断したのではなかろうか?立つ?・・・いや、まじめな話,アレのことです。男が強さを手に入れたという勘違いは、同時に繁殖行為において不便さをもたらした。男は強くあるべきだという概念に縛られて、ある種の優越感や征服感、支配欲を満たすものとして行為にそれを持ち込んだ。しょせん幻想なんだけど、男はその感覚を相手に感じないとアレが行為出来る状況へと持ち込めない事になってしまったのだ。はっきり言うとインポテンツになってしまう。それはまずい。男をその気にさせないといけないのだ。女は強さを表には出さず、か弱さや、おしとやかさや、可愛さなど、いわゆる男が期待する女性像を作り上げていったのではなかろうか?(でもそれも最近では機能しなくなってる。女も男言葉を使うようになったりと常に変化をしている)もちろん、例外はある。サドマゾなんて言葉があるように、虐げられたり、支配されたりことでアレが立つ方もいらっしゃるけどね。理屈ではなく、女はそれを嗅ぎ取っていく生き物なのだ。なんて女は偉大なのだ。まいったね。男の虚勢はやっかいなものだけど、頭のいい女ならそれを「おっ!頑張ってるなあ」とか「かわいいなあ」なんて微笑ましくみていられるだろう。そしてボロが出たときにも、「君は頑張ってたよ。立派だったよ。」なんて言ってあげられる人なのかもしれない。逆にバカな女は男の虚勢を本物だと思い込んで、ボロが出た途端、幻滅して「もう、しっかりしてよ!この役立たず」なんて罵声を浴びせるのかもしれない。まあ、男にとって、都合のいい話だけどね。
よく、「あいつは一人でも生きていけるタイプだな」なんて言われる女性がいる。恐らく、そんな弱さを演じる事をやめてしまったということなのかもしれない。本来持っている、女性の強さを前に出して生きていけるのだ。子孫繁栄さえ臨まなければ、男なんて必要ないってことなのかもしれない。いやあ、男は追いつめられてるなあ。
というわけで、後半は筆者の意見を元にしながらもかなり持論を展開させてしまった。このようなものを読んだり,聞かせられたりすると、科学の知識のないものは無条件に受け取らざるをえない。反論する余地もないので「そっかあ、なるほどねえ。昔流行ったアッシーとかメッシーとかは、男の原始的行動だったわけね」となるわけだ。男は女の手のひらの上で踊っているとか、このようなことは昔から言われている事。作家の村上龍も「しょせん男は女の消耗品」だと本に書いている。女は種族繁栄のために強い遺伝子が欲しいという生物的本能がある。当然、男も自分の遺伝子を残したいので選ばれるために強い自分を表現する。その結びつきがある限り、男も存在する価値を見いだせる。それこそ命がけである。祭りなどはそれを示す場所だったという。(昔はだんじり祭りみたいな命がけの祭りは各地で沢山あったそうです)まあ,命がけの合コンですな。


ドイツ語っぽいが、意味は判るよね。精子が発射される前に、こんな訓練を受けてるんだよというギャグです。男は選ばれるためにひたすら頑張るのである。

タイトルの男はいばるな!女は余裕を持て!とは筆者が読者に伝えたいメッセージだそうです。僕はフェミニストなんでいばったりしたことないんだけどね。(笑)嘘です。それなりに虚勢張ってます。
というわけで、いつかは読んでみようと思います。これより、取りあえず前作を読みたいと思っています。それではこの辺で