知のウィルス その1 早春スケッチブック編

「知らないことは善である」という考え方がある。情報や知識ってのは時に人の道を誤らせ、破滅に追いやりかねないウイルスみたいなもの。ウイルスと呼ぶからには当然、伝染力があり周囲への影響も計り知れない。権力者はその怖さを知ってるので、おのれの牙城を守るための防御線を張り巡らす。
中国はインターネットの情報統制をしてるし、
オーム真理教は上九一色村サティアンを作ったし、
アメリカではダーウィンの進化論を学校で教えないし、
かつて東西に分断されたドイツではベルリンの壁が作られたり、

とまあ、数え上げたらきりがない。(後にこれらは詳しく書くつもりです)
悪い例ばかり挙げたけど、こういうことは僕らの身近にも沢山あるよね。例えば教育。親なら誰だって自分の子供に有害と思う情報や知識は出来る限り遠ざけたいと思うのが人情であろう。親にとって、こうなってもらいたいと願う未来像があればあるほど、その思いは強くなるはず。
健やかに育ってほしいと願うなら、健やかでないものは目に触れさせたくない。

勉強ができる子になってほしければ、勉強を邪魔するものは遠ざけたい。

宗教に入っていたら、信仰の妨げになるようなものは遠ざけたい。


そうはいっても、親は四六時中一緒にいるわけにはいかない。悪い友達から良からぬ知恵をさずけられたり、親の及ばないところからさまざまなウイルスに感染してしまうかもしれないんだよね。親は気が気ではない。
1983年、今から25年前になるのかあ。早春スケッチブックというドラマがあった。山田太一原作の傑作なんだけど、ストーリーはこんな感じ。 

早春スケッチブック DVD-BOX

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ストーリー
望月都(岩下志麻)には、かつてカメラマンの竜彦(山崎努)との間にできた私生児・和彦がいた。やはり子連れの真面目な男・省一(河原崎長一郎)と結婚し、家族4人は問題なく暮らしていくことができた。ある日、高校生になった和彦(鶴見辰吾)の前に謎の女・明美が現れる。彼女に導かれるまま、ある家に辿り着いた。そこにいたのはぶっきらぼうな一人の男。やがて和彦はその男こそ実の父親ではないかと感じ始めるのであった…

山崎努演じる実の父親 竜彦は癌で余命いくばくもない。自由奔放に生きてきた彼は、死の恐怖を抱えながらも、身勝手を承知で生き別れた息子に再会し、自分の生きた証を残したいと思う。
「俺はお前に影響を与えたい!」
と宣言するのだ。男はズカズカと息子の前に現れ、鮮烈な言葉を浴びせていく。なりふり構ってられないのだ。

こんな形相で言われたらたまったもんじゃないよね。

「ありきたりなことをいうな。お前らは、骨の髄まで、ありきたりだ!」
「映画が見たい。一本我慢する。二本我慢する。三本我慢する。四本目に、これだけは見ようと思う。見る。そりゃあんた、見る力がちがう。見たい映画全部見た奴とは、集中力がちがう。そういう力を貯えなきゃあいけない」

「どうせ、どっかに勤めるか?どうせ、たいした未来はないか?バカいっちゃいけねぇ。そんな風に見切りをつけちゃいけねぇ!人間てものはな、もっと素晴らしいもんだ」
「自分に見切りをつけるな 人間は、給料の高さを気にしたり、電車がすいてて喜んだりするだけの存在じゃあねえ!その気になりゃあ、いくらでも深く、激しく、ひろく、やさしく、世界をゆり動かす力だって持てるんだ」
「あんな親父と似た道を歩くな!親父に聞いてみろ!心の底までひっさらうような物凄え感動をしたことがあるかってな!」

書きたい名言は他にも沢山あるけど、こんな調子。まあ、高校生なら影響受けちゃうね。実際、僕自身がテレビを見ててそうだったんだから。面等向かって言われたら確実にノックアウトくらうよ。ちなみにシナリオ本買って、読み返したからね。


この動画は息子の義妹が、男を訪ねてきたシーンだ。youtubeに出てるとは驚いた。ここでの男は実に穏やかである。ドラマ史上に残るこの名長台詞は実に含蓄があり素晴らしいのでぜひご覧あれ。

とまあ、好き勝手をやるわけなんだけど、これで気の毒なのは、現在一緒に住んでいる育ての父親だ。家族は父以外、全員ウイルスに感染してしまうのだ。余計なこと教えてくれるなよって感じ?育ての父親はおだやかで、優しく、まっとうな人生を歩んできた人。一方、山崎演じる血縁上の父はマスコミの世界で自由奔放に生きてきた人。若者が後者に惹かれやすいのは無理もない。
「ありきたりで何が悪い!」
育ての父も黙っていない!でも男は反論しない、むしろ、育ての父には感謝し、尊敬もしていたのだ。普通であること、ありきたりであることがいかに大変であるか、凄いことであるかを最後には語り、死んでいく。ここは感動的だったはず。僕の記憶ではね。もう一度DVDで見直してみようかな。
新たな知識や思想などに触れると、人は今まで持っていた価値観を揺さぶられたりする。
何が真実で、正しいのか?
でも子供にとって本当に大切なものは、知識や情報から得る訳じゃないとも思う。しょせん、知識は自分を守る鎧でしかなく、肝心の肉体と流れる血は、親の姿を通して、無意識レベルで獲得するのかもしれない。
目は口ほどに物を言う!というわけだ。
親同士が愛し合い、固い絆で結ばれていれば、子供は自然に人を愛せるようになる。
親が自分の友人を大切にしていれば、子供も友人を大切にする。
親が陰口を普段から叩かなければ、子供は人の悪口を言わない大人になる。
親がいつも誰かのせいにすれば、子供も人のせいにして生きる人生を送る事になる。
子供にとって親は生きる上での道しるべだと思う。親を見て、それを模倣することから自我は形成させる。要するに自分がちゃんと生きていれば、子供も道を誤る可能性は限りなく小さくなるのかもしれない。親じゃない僕が言っても説得力ないね。(笑) 
こんな風に書き散らかしたのは、久しぶりなので、ちゃんと書きたい事が伝わったのか心配だ。
この話はまだ続くんだけど長くなってしまった。こんな調子じゃ続けられないな。今回はこのへんで。