ランニングのすすめ その1 動機編

僕は基本的に走るのは大の苦手である。子供の頃からずっとそうだったので、かなりのコンプレックスがあった。徒競走ではたいがいビリだったし、マラソン大会もろくな思い出がない。それでも球技は得意で野球チームでは3番でエースだったりしたので、運動音痴とは思われなかったような気がする。

そんな僕がランニングに去年から着手した。ちょうど自転車と水泳をかじっていたので、走りさえこなせばトライアスロンに参加出来るなあと考えたのがきっかけだ。気持ちの片隅に「ああ、これから楽しくないなあ」という感覚がよみがえった。でもこれでは駄目だ。このネガティブなイメージを取り払わないと長く続くはずもない。そこで今回テーマを掲げた。「走ることが好きになりたい」。目的はダイエットとか、別の見返りを期待したものではない。かつてダイエットのために走ったことあるけど、体重が目標数値に届けばすぐにやめてしまっていた。走るのはただ辛いだけであり、義務でしかなく、走りそのものを楽しんでいたわけではなかった。当然、そんな調子じゃ,走るモチベーションなんか維持できるはずもない。

そうは言っても、僕はマラソンを観るのが好きだったりする。瀬古の強かった頃から有名レースはほとんど観てきたと思うし、正月の学生駅伝も結構楽しみにしている。つまり走れる人に対し、畏敬の念や、あこがれを強く抱いているのだ。それだけでも走る動機は十分ある。


瀬古の強かりし頃、この頃の日本男子マラソンは黄金期だったなあ。
ライバル・イカンガーとの一騎打ち、最後に若かりし、みのもんたが出てるよ。

作家の村上春樹がエッセイを書いている。走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

この人の趣味はマラソン。いや、趣味というレベルじゃないな。書いてる時以外はずっと走ってるって感じ。まず走る距離がハンパない。週に60キロ 一ヶ月で260キロを走り、レースに参加するためだけに、世界中を駆け巡っているそうだ。
どうして、村上氏は走り続けるのか?要約すると
作家は毒を持たなければならない。毒を作るうちに、身体の弱い作家は自らの毒にやられてしまう。それに対抗しうる基礎体力を強化しなければ、大きな想像はできない。
実に作家的な言い回しなので、もう少し説明すると、作家は常に人の生き死にや、邪悪な感情を想像の中で膨らませるのが仕事である。そんな妄想の中にいれば、身体にもそれが伝わっておかしくなるのではないか?取り込まれるのではないか?身体に強い免疫力を持つ事でそれに対抗しようとしているのだと。伝わったかな?
確かにみずからの毒にやられて若く死んでいった天才は沢山いるような気がする。芥川龍之介とかね、

村上氏は長い間、書き続けたいと言っている。そのためには身体を強くしとく必要があるわけだ。

僕らは作家ではないけど、多少は解るような気がする。日常を生きていれば、作家ほどの毒はないにせよ、負の感情を抱く時って誰にでもあるはず。嫉妬であったり、憎しみであったり、自信喪失したり、そんなこと。
それらを何とか解消しようと、趣味に興じたり、酒場で酔っぱらって上司の悪口言ったり(これも毒なんだけどね(笑))するわけだよね。ネガティブな感情はあまり蓄積させてはいけない。身体に悪いのだ。

というわけで、感化された僕も走ってみる事にした。楽しく走れるようになるか?練習編に続きます。今回はこれまで!