映画配給会社の見識眼と商品価値

「ワルツ・ウィズ・バシールの日本公開が決まったそうだ。それは良かったんだけど、思えば僕らは配給会社によって世界中から選ばれた映画のみ鑑賞することができるんだよね。つまりいい映画を観れるか観れないかは配給会社の見識眼にかかっているわけだ。英語をネイティブに使えるならそんな制約を受ける事はない。どこの国で制作されたとしてもDVDに英語の字幕はほぼ入ってるからだ。観たい物があればアマゾンとか輸入版を扱ってるとこで買えばいいだけのことだ。
最近の傾向として、映画評論家の町山氏がネットやラジオで紹介する映画は、日本で公開未定の作品も多い。つまり日本の配給会社はその映画に商品価値を見いだせなかったということだ。でも彼の発言で事態は大きく変わる。僕も含め,彼のファンは多いのでネット上で観たいという声が当然上がる。公開希望のキャンペーンが繰り広げられたりする。しばらくすると日本公開が決まり、映画は大ヒットするのだ。これでは配給会社も形無しだ。実に格好わるい。世界を飛び回り映画を買い付けてる人達の見識眼が問われているのだ。「大丈夫?あんたたち」って感じ?
映画は観る動機が必要だ。わざわざ足を運ばせるからにはね、それはどんなことでもいい。好きな俳優が出てるから。SFXの技術が凄そうだから。ヒットしてるから。テレビでやたら宣伝してるから。ちょっとしたことでいい。個人とリンクするものさえあればいいんだけど、アメリカ以外の国で作られた地味な作品などは、余程の映画ファンでない限り、個人とリンクしにくいのが実情だと思う。
最近、僕は中東、特にイスラエルパレスチナ関連の映画を漁るように見ている。それは「ガザ侵攻」について書いたブログを通して思いっきりリンクしてしまったからに他ならない。それがなければ、絶対に観る事のなかった映画ばかりだ。近い内、カタログ的に一気に紹介したいと思うけど、どの映画も興味深く観れたものばかりだ。ただ、あまりにもその数は少ない。当然といえばそうなんだけど、イスラエルパレスチナ関連の映画はほとんど日本に入ってきてないのだ。例えばイスラエルの代表的な監督アモス・ギタイの作品は数十本ある内、数本だけだったりする。確かに彼の作品はエンターテインメント性は乏しく、抽象的な描写も多かったりするので観る人を選ぶ作品だと思う。でもイスラエルを知るには観るべき価値があるはずなのだ。まあ、これは僕の個人的願望に過ぎないよね。仕方ないとは思いつつ観れない事がとても残念だ。
中東関連の作品を観てると、配給会社がuplinkである作品が多い事に気付く。ぜひ頑張って欲しいものだ。この会社のお陰で多少は中東の知識が豊かになったと思う。映像はそれだけの力がある。感謝感謝。 外国の映画は、やはりその国の歴史的背景や文化など多少なりとも知っていないと面白さは半減してしまう。つまりお勉強の要素がどうしても入ってきてしまう。日本は知識欲が低下している傾向にあるから、これからますます外国の映画が入ってきにくい状況にあると思う。つまり商品価値が低下しているわけだ。町山氏のような見識眼の高い映画人と配給会社は連携しながら、ネット上などで盛り上げてその中からいい作品を日本に入れてほしいものだと切に願う。例えば配給会社がネット上で買い付け前の作品をプレゼンして、知識人や一般人の意見を取り入れていくとかね。こんなの素人の発想なのかねえ。とにかくどうしてこんなものを日本に持ってきたのか理解不能な作品が多いと思いません?でもそれは単に僕とリンクできてないだけのことかもしれないんだけどね。いやあ、難しい。