続 できそこないの男たち 「力強さ」から「美しさ」へ

今回は「できそこないの男たち」の続きである。前回、遺伝子を運ぶだけの存在だった男に、別の役割が与えらえ「力強さ」を獲得していった過程を書いた。その後、男はどうなったのか?時代の変化の中で女は更に何を求めていったのか?それについて考えてみた。若干、乱暴な内容かもしれないし、他の誰かが既に言及してることかもしれない。一応、それは知らないので僕の意見として書かせてもらいます。前回は生物学的観点からでしたが、今回は社会学の観点になってしまうかな?
イケメンの変遷
テレビをつけるとイケメンを観ない日はない。反感はないが、ある種の違和感は持っている。今やテレビ界はジャニーズを中心とするイケメン達が君臨し、お笑いの領域だけを芸人がなんとか守っている状況に思えるからだ。(それも怪しくなってきている。イケメン芸人とか出て来てるしね)
テレビ放送が始まって以来、イケメンは当然いた。でもそのあり方は今と違っていた。イケメンは手の届かない存在であり、ミステリアスであり、憧れの対象でしかなかった。女性は彼らに熱狂しながらも、現実とはちゃんと折り合いをつけていた。高い理想を持ち込まず結婚もしていた。そうでなきゃベビーブームなんて来るはずもない。

当時のイケメン  郷ひろみ 西城秀樹 沢田研二etc
  

ドラマ「寺内貫太郎一家」より、一世風靡したギャグ、ジュリーのシーンです。僕にはとても懐かしい。みんなスターにはこんな感覚を抱いていたように思います。

やがて日本は経済大国となり、バブルの時代を迎える。その頃、高学歴、高収入、高身長を意味する「三高」という言葉が流行った。外国のブランド商品が売れるようになり、男性に対してもブランド分けするようになったのだ。それと同時にイケメンのあり方も微妙に変化することになった。早い話、イケメンというだけではチヤホヤされなくなってきたのだ。

当時のイケメン  阿部寛
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mens nonnoから出てきた阿部ちゃん。最初はイケメンとしてチヤホヤされたけど、面白みがなく、いつしか画面から消えていった。そして数年後不死鳥のごとく再ブレイクを果たす。トリックの成功以来、今や欠かせないスターになった。僕もファンですよ。それにしてもいい顔になりました。

やがてバブルが崩壊し、「三高」という言葉も空虚になりつつあったが、一度生まれてしまった価値観はそう簡単に消えるわけではない。今でも男性のブランド化は別の形に変えながら存在している。こうして価値観の多様化が起こった。そしてここからイケメンの逆襲が始まる。イケメンも生き残りをかけて細分化していった。高学歴、高収入はもちろん、弁護士、政治家、各評論家など、かつてはイケメンである必要のなかった部門に、イケメンが侵略してきたのだ。そして現在、ほとんどの番組にイケメンは関与している。ドラマはもちろん、バラエティ、ニュース、スポーツとどこにでも変幻自在に顔を出すようになった。素の部分を出すことを惜しまず、率先して親近感を与え、挙げ句の果てに、おバカイケメンも登場した。観ていて微笑ましい連中だったりするんだけど、冷静にみれば本来バカって恥ずかしいことじゃないの?それさえも売り物にしてしまったわけだ。もはやイケメンは高嶺の花ではなくなった。手を伸ばせば届きそうなところにいる存在になった。それは必然の流れかもしれない。今や、テレビを観るのは女性であり、買い物をするのも女性だ。テレビ局としてはスポンサーも含め、女性の好むものを提供していくのは当然なのだ。しかしこの状況は男女の間に大きな溝を生んでいったのかもしれない。

ちょっと違うかもしれないけど、かつて、同じような現象は女性にも起こっていた。芸能界には二つの世界があり、そこには棲み分け装置があった。いわゆるもう一つの世界はアダルト業界を指す。昔は美しい女性がテレビや映画などの世界にいるのは当然として、アダルト業界にはそうでない女性にも居場所が用意されていた。エロ本とか、エロ映画などのアングラの世界だ。小学生の頃、拾ったエロ本に映っていた女性は決して美人ではなかった記憶がある。たまに美人を見つけると感動したりもした。それが時代の流れの中で、美人度が増していった。そうでない女性はやがて画面、誌面から消えていった。今や、美しさや可愛さなどは表の芸能界と大して変わりない。というかどういう基準で別れてるのかがよく判らないほどだ。今も棲み分け装置はあるにはあるが、曖昧になってしまったように思う。単に入り口が違うってことなのか?とにかく美しくない女性は凌駕されてしまった。彼女たちは街角に消えていった。

テレビは日常である。イケメンが常に画面を占領し、それが通常化することに慣れてしまった女性達の間に、次第に実際の男の基準でも「知力」「財力」「力強さ」より「美しさ」を重要視する感覚が形成されていったのではなかろうか?
この前,テレビのjunk sportsというスポーツトーク番組で、ビーチバレーの女性選手がこんな話をしていた。
「練習が終わって帰ってたら、サーフボード持ったイケメンと目があって、そのままレストランで食事して盛り上がったんですよ。でも顔を近くでマジマジと見たら、そうでもないな。と」と、その出会いが恋に発展しなかったことを楽しそうに話していた。いや、この話の内容がおかしいと言ってる訳じゃない。ただ、これってサービストークとはいえ、ちょい昔なら非常にはしたなくない?テレビという公共の電波と知りながら、悪気もなく話していることに時代を感じてしまった。こんなのは女同士の飲み会で話すようなことでしょ?例えば、結婚会見で「彼のどこが好きですか?」と問われ「だってイケメンだもん」なんて昔の人は言わないでしょ?ビーチバレーの女性は、それをはしたないと思うどころか、当たり前の価値感であり、当然みんなが納得してくれるだろうという前提に立っているのだ。つまりこういうことになる。男選びの基準において、イケメンは前提であり、「知力」や「財力」など他の要素はその後に来る要素に過ぎず、あるに越した事はないけど、なければないでいい。という価値観が台頭してきたのだ。これは凄いよ。顔さえよけりゃ、金なんてなくていいって本気で思ってる女性達が結構いるという事を意味するからだ。
これって、男と似ているよね?男は女の「財力」「知力」なんて特別期待しない。男女平等が叫ばれる中、女性は多くの権利を勝ち取ってきたという時代背景も関係あるのかもしれない。オヤジギャルとか流行ったのもその前兆だったといえなくもない。とにもかくにも、男と同様に、女性にとっても「美しさ」が重要な基準になった。さて、困ったのは男どもだ。昔は少なくとも男に美は求められなかった。あっても期待したところで無駄という雰囲気があったと思う。それがそういうわけにいかなくなったのだ。そりゃ、男は戸惑いますよ。だって「美しさ」なんて誰にでも持てるわけではないでしょ?「知力」「財力」なら誰でも努力次第で持てる可能性はある。「力強さや、たくましさ」も大してなくても虚勢を張る事で切り抜けることもできる。しかし「美しさ」となると誤摩化しは効かない。いや、努力しだいでは持てる男もいます。せっせと身だしなみを清潔にしたり、男性化粧品を使ったり、エステに行って脱毛したり、整形だってやっちゃいますよ。それは意地らしいくらいに頑張りますよ。わー、今度は男が女のしていたことをやり始めたのだ。でもそれとは逆に、その場から退場してしまった男達もかなりいたんじゃないだろうか?「冗談じゃないよ。やってられるか!」ってね。
退場した男達はどこに行くのか? ここからはSFだよ。
「俺たちは俺たちだけのワンダーランドを作る!」
退場した男達は地下へ潜った。インターネットの仮想空間に身を置き、想像上の性的対象を作り上げ、「萌えー」と架空世界の中心で愛を叫んだ。
少なくとも男達は二つの世界を作った。デジタル架空世界とアナログ現実世界だ。たいていの男は二つの世界を行き来するが、確実にアナログ現実世界に背を向けてしまった輩も多く生まれた。これで男のパイは確実に減った。
かたや、女は現実世界にどっぷり腰を据えている。彼女達は逞しかった。今まで中身など見やしない男の視線にさらされてきたのだ。逆の立場になった途端、立ち去るなんて最低極まりない。架空世界に逃げた男達を鼻で笑った。しかし、現実は自分の首を絞めかねない事態を招いていた。実際、「美しい」男がいても、競争率が高い上に、「力強さ」「財力」「知力」も持ち合わせた男なんてそうざらにいるわけじゃない。男の美しさなんて、芸能界ならともかく、全く役に立たないのだ。「美しい」を第一次審査にしてしまったため、第二次審査会場はガラガラだった。彼女達は途方に暮れた。そして男に期待しなくなり、失望感を募らせていったのかもしれない。
SMA STATIONという番組でファッション特集というのをやっていた。もっとも興味のない世界なんだけど、なんとなくテレビをつけていた。訳のわからない用語が飛び交っている。僕に取ってはどうでもいい話が続く。その中で二人のカリスマモデルというのが紹介されていた。彼女達はもはや僕には理解できない宇宙人だった。彼女達がきれいに着飾ったりしているのは、男性の視線を意識してそうしているわけではなかった。むしろ、同性に向けて発信されているものなのだ。彼女達は心からそれを楽しんでいるように見える。小物を手に取って「これ可愛い」「あれ可愛い」と無邪気に微笑んでいた。彼女達は男の存在などお構いなしに、ただ女同士で見せ合いっこをする。彼女達のこだわりは、僕からすればオタクそのものだ。実際、その手のファッション雑誌の市場も確立されている。押切もえエビちゃんはそこから出て来た大スターだ。男性から見ても可愛くて綺麗だと思うけど、女性にとって憧れの存在なのだ。女性達は彼女らの着る服、アクセサリーなどに興味津々。同じものが欲しくて奔走する。それってアニメのフィギュアを集める男達と大差ないと思うけど違うかな?

スマステーションhp http://www.tv-asahi.co.jp/ss/
これはまさに子孫繁栄の危機とも呼べるだろう。少子化もやむなしと言ったところか。少子化の是非はともかく、ここまで男と女が互いに絶望し合った今、新たな価値観が必要になってくるのかもしれない。
もはや、精子バンクがあって、優良な精子が高額で取引される時代ではある。子孫を作るのに、必ずしも相手と結びつかなくてもよくなってしまった。しかし愛を欲するのも人間だ。それが正しい選択とは到底思いたくはない。
こんなニュースを見つけた。

日本は混血のハーフ社会に? 欧米人選ぶ20〜30代女性急増
2008/8/ 9
赤ちゃん30人に1人は混血のハーフであることが、厚生労働省の統計調査で浮き彫りになった。さらに、国際結婚は、東京都区部や大阪、名古屋両市だと、10組に1組の高率。専門家によると、欧米人を選ぶ女性がここ5年ほどで10倍以上にも増えているというのだ。日本は、ハーフが当たり前の社会になるのか。
詳しくはこちら http://www.j-cast.com/2008/08/09024718.html

なるほど、こういうことになるんだね。必然の成行きだ。地下に潜っていた男たちが、地上に出て来たら、ハーフで溢れていたなんてシャレにならない状況が待っているのかもしれないのだ。

テレビにおいて、お笑いの領域だけなんとか芸人が守っていると、この文の冒頭に書いた。流石にイケメンには敷居の高いジャンルなのだ。それだけ人を笑わす事は難しいことを物語っている。僕はsmapsmapでキムタクがコントをやっているのも観ると、「それはやってくれるなよ」という感覚になり、笑う気にはなれなかったりする。実はそこそこ面白いのだ。でもあんたがそれをやったら、芸人さえも画面から消えてしまう事になるよ。出てもイケメンの引き立て役しかできなくなるに決まってる。そんなの嘆かわしいと思わない?世も末だよ。なんて言いたくなってしまうのだ。