アメリカのクリスマス その2 テレビから見るクリスマスの精神

アメリカでは、クリスマスシーズンになると毎年必ず放送される番組があるという。きっとそこにアメリカの精神、良心を垣間みる事ができるに違いない。と同時に日本のクリスマスの在り方もよく見えてくるといいんだけど・・・
クリスマスに必ず放送される定番映画といえば、素晴らしき哉、人生!がまず最初に挙がるだろう。第二次世界大戦直後、今から60年以上も前の作品だというのに、未だに家族揃ってみる映画のNo.1として君臨している。つまりアメリカ人のほとんどが観ている国民的映画なのだ。日本人の僕らにはピンと来ないよね。だって映画マニアでない限り、この映画を観た人ってそんなにいないんじゃないかな?それでは何故、アメリカ人はこの映画をこよなく愛するのだろうか?そこにはアメリカにとって大切な事が描かれているからではないか?。大切な事・・・
(ストーリーは観たことがない人のために最後に書いてます。)

素晴らしき哉、人生! [DVD] FRT-075

素晴らしき哉、人生! [DVD] FRT-075

古い映画で著作権が発生しなくなったため、今は500円DVDとして売っています。でも簡単に見つかるかは判りません。ちなみにニコニコ動画で全編観ることができます。画質悪いけどね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4480742

 

この映画にはアメリカの「理想」が描かれているのだろう。素晴らしい人生を送るために、何を為すべきか、何が大切なのか、どんな社会を作るべきなのか、そうあるべき人の道を教えてくれる、もしくは考えさせてくれる物語がこの中に凝縮して詰まっているのだ。この映画を家族で観れば、それぞれの立場で思いを巡らすだろう。
自分は社会の役に立っているのだろうか?周囲の愛する人達を幸せにしているだろうか?誠実に生きているだろうか?私はこんなに純粋に人を愛せるだろうか?自分の愛する夫が苦境に立った時、このように振る舞えるだろうか? 自分の父親もこんな思いをして自分を育ててくれているんだ。自分もこんな風に生きていきたい。そして、かけがえのない家族を大切にしよう!
クリスマスに家族でこの映画を観て、自らを振り返り、また来年に向けて想いを新たにするのだ。それはまるで儀式のようだ。前回のブログで書いた、アメリカにとってクリスマスは家族のためにあるというのはこういうことだ。クリスマスは家族の絆を深めるとともに、自らの人生を振り返る時なのだ。
日本でそれほど、この映画が浸透してないのがなんとなく判るような気がする。日本にとってクリスマスにそんな意味はないからだ。もちろん、家族でケーキを食べたりしてパーティーをすることはあっても、楽しいだけで終わりだからね。おそらく日本のそれにあたるのは、正月だろうね?年始の挨拶とかで家族が顔を合わせるから。
ここまで読んで、なんか説教臭い映画なんじゃないの?と思った人もいるかもしれない。決してそんな事はない。むしろ、台詞では一切、説教臭いものは排除されてるし、一級のエンターテイメント作品になってる。この映画が優れているのは、登場人物の行動を通して、僕らがそれらを感じ取るように作られている点にある。一級の映画は台詞では語らず、映像で語る物なのだ!(台詞がない映画って意味じゃないよ。テーマや作家の言いたいことを、台詞で説明させていないってことよ.)
この映画はクリスマス映画ということになってるが、あまりそんな印象はない。もちろん、主人公に奇跡が起こるのはクリスマスイブの夜なんだけど、本編の大半は主人公の半生を描いているのでそう感じないのだ。さて、その奇跡に触れざるを得ない。ここからは観た人以外は読まない方がいいと思うけど、まあいいか。
現実に絶望した主人公は、天使から自分の生まれてこなかったもう一つの世界を観せられることになる。その世界は主人公にとって堪え難いものだった。子供の頃、助けたはずの弟が亡くなっていたり、仲の良かった友人達もギスギスした嫌な人間になり、街の人はみんな冷たく、街は酒場や売春小屋が立ち並び、妻も寂しい境遇になっていたり・・・
でもここで、こう感じる人もいないかな?むしろこっちがリアルワールドじゃないの?って
主人公は小さい頃から、家族想いで、友人達にも恵まれ、愛する人もいて、犠牲を強いられながらもみんなを幸せにする仕事をしている立派な人間だ。果たしてこんな人どれだけいるのだろうか?彼は僕らがこうありたいと願う人間の象徴であり、理想でしかないんじゃないの?つまりこんな人がいないと、社会って簡単にすさんでいく。殺伐とした世の中になっていくものなのだ。僕らの社会はどうだろう?どっち側の世界にいるのだろう?私はどんな人間なのか?そう問いかけられてような気がしないかな?
この映画はこれ以上ないってくらいのハッピーエンドで終わる。現実に戻ってきた主人公は、再び生きる勇気を持つんだけど、絶望的事態が迫っているのに変わりはないよね。しかしそんな彼を周囲の人達がお金を寄付することによって窮地から救い出すのだ。現実には到底ありえないでしょ?。別の世界に行ったことよりも、むしろこっちの方が奇跡じゃないかな?ここが重要なポイントだ。この奇跡は天使によってではなく、人間達によってもたらされたのだ。本当の奇跡とは人間が起こせるもの。それこそがクリスマスプレゼントという慣習になったのだ。貧しい人達、困った人達に施しをする日が本来のクリスマスなのだ。決して誰かさんのご機嫌を取るためにプレゼントをするわけじゃない。人間は素晴らしい存在になりえるんだという理想がこのエンディングを意味してるんじゃないかな?
これを単なるハートウォームな映画と観ることもできるし、世間を風刺した怖い映画と観ることもできる。そういう色んな見方を提供してくれる映画は名作である証拠だ。実際、この映画は後年の映画作家に絶大なる影響を与えてきた。この映画をモチーフにした映画は結構あってターミネーターバック・トゥ・ザ・フューチャー2など数え上げたらきりがない。
たとえちっぽけな人生でも、未来に影響を与えるというテーマは、もはやSFのスタンダードであり、これからも類似の作品は作られていくだろう。
実はこの映画、意外な事に公開当時は全くヒットせず、監督のフランク・キャプラは散財した揚げ句、その後監督人生を絶たれてしまったそうです。当時の人には早過ぎた映画だったのでしょうか?アメリカでは1970年頃からテレビで頻繁に流れるようになり、それをきっかけにこの映画は若者を中心に再評価されていったそうです。キャプラは90年くらいまで生きてらっしゃったので、どのように感じていたのでしょうね?嬉しかったと思いますが、複雑な心境といったところでしょうか?
というわけで、みなさんもご家族で一緒にご覧になってみては?決して宗教的には描いてないし、面白いエンターテインメントに仕上がってますよ。日本人が観ても十分に感動できます。観た後、みんなで感想を言い合うのもいいかもしれませんね?家族の絆が強くなるかもしれません。ただし、130分もある映画です。小さい子供にはつらいかもしれません。一度、親がご覧になって、見せてもいい年齢を決めてもいいかもしれません。
僕らはつい新しいものに飛びつきがちです。ハリウッド映画みたいな派手で早いテンポに慣れてしまうと、古い映画のゆっくりとしたリズムに絶えられなかったりします。ましてや白黒映画となると避けてしまいがちです。ここはあえてトライしてみません?。この映画に限って言えば、意外と観れますって。最後にストーリーを書いておきます。次回はまた続きです。アメリカのテレビからみるサンタクロースの意味について書きたいと思います。それでは

ストーリー
ジョージ・ベイリイ(ジェームズ・スチュアート)は子供の頃から、生まれ故郷の小さな町を飛び出し、世界一周旅行をしたいという望みを抱いていた。彼の父は住宅金融会社を経営し、低金利で町の貧しい人々に住宅を提供して尊敬を集めていたが、町のボス、銀行家のポッターはこれを目の仇にして事あるごとに圧力を加えていた。大都会のカレッジを卒業したジョージは念願の海外旅行に出ようとするが、突然、父が過労のため世を去ってしまう。ジョージは、株主会議で後継社長に推され、承諾せねばならぬ羽目となり、弟が大学を卒業したら会社を譲ることにして、一時海外旅行もおあずけになった。ところが4年たって大学を卒業した弟は、大工場主の娘と結婚しており、その工場を継ぐことになっていた。ジョージの夢は破れ去った。やがてジョージは幼馴染みのメリイと結婚した。そして豪勢な新婚旅行に出発しようとした時、世界を襲った経済恐慌のため、ジョージの会社にも取付騒ぎが起こった。ジョージは旅費として持っていた5000ドルを貧しい預金者たちに払い戻してやり、急場をしのいだ。そのため新婚旅行は出来なくなったが、2人は幸福な結婚生活に入り、次々と4人の子供に恵まれた。住宅会社の業績も着々と上り、それに恐れをなしたポッターはジョージ懐柔策に出たが、彼は断固拒絶した。第2次大戦が起こり、海軍飛行将校として従軍した弟は、殊勲をたてて大統領に表彰された。だがその喜びの最中、会社の金8000ドルが紛失した。実はその金はポッターの手に入ったのだが、彼はそれを隠してジョージを苦しめ脅迫さえした。そのうえ会社には会計検査官もやって来る仕末。絶望したジョージは橋の上から身投げしようとした。と、それより一瞬早く奇妙な老人が彼のそばで身投げした。ジョージは夢中になってその老人を救った。老人はクラレンスといい、自分は2級天使で翼をもらうためジョージを救ったのだと語った。自棄になったジョージが、この世に生まれなければ良かったと洩らすと、クラレンスは彼を望みどおりジョージの生まれて来なかった幻の世界に連れて行った。そこは人情も道徳もない幻滅の世界であった。ジョージはたまらなくなって元の世界へ戻してくれと絶叫した。再び現実に戻ったジョージは、クリスマス・イヴの祝いを待つ我が家に駆けもどった。そこへジョージの窮状を知った町中の人々が、寄付金をもって彼の家に押しかけて来た。ジョージは今さらながら人の心の温かさを知り、妻や子供たちを抱きしめて、人生の幸福をしみじみ感じた。