アメリカのクリスマス その3 テレビからみるサンタの意味

クリスマス映画は賞味期限が1〜2週間と短い。期間を過ぎれば確実にソッポを向かれる限定商品だ。今回紹介するのはそんなクリスマス度満点の古典「三十四丁目の奇跡」だ。この中に、何故サンタクロースが必要とされ、どんな意味が込められているのかが描かれている。

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この映画も1947年に製作された古い作品で「素晴らしき〜」同様、毎年クリスマスの時期に必ずテレビ放送されるそうだ。この映画は後にリメイクされたし、日本ではミュージカルにもなってるので、観ないまでもタイトルは聞いたことがある人も多いんじゃないかな?
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ストーリー
ニューヨークにある百貨店メイシーは毎年感謝祭の日、34丁目通でクリスマス・パレードを催している。中でも人気なのは、サンタクロースの行進だった。本物のサンタクロースを名乗る長い白ひげを持つ老人クリス・クリングルは、酔っぱらってしまったサンタクロースの代役として人事係長ドリス・ウォーカーが雇った人物だった。百貨店ではクリス老人を7階おもちゃ売場の人寄せに立たせて、クリスマス・セールを始めた。クリスは子供のために最善を尽くしたサービスを行い、その評判を聞き他店もそれを見習うようになり、クリスは店主メイシーのおほめに預かった。ドリスは娘のスーザンにもおとぎ話や夢物語を読ませず、サンタ・クロースなんかも嘘だと言い聞かせていた。ある日、スーザンはアパートの隣人の弁護士フレッドに連れられて百貨店へ行った。クリスのひざに抱かれてひげを引っぱると本物だったので、クリスが言う通りに彼が本当のサンタ・クロースだと信じ始めるが・・・。

実はリメイク作は観た憶えがあるんだけど、このオリジナル作品は未見。この文章を書くために、さっそくホームセンターから500円で購入してきて観た。何やってんだろうねえ。二つの映画を比較するとかなり面白い。本来なら、比較しながら書きたいところなんだけど、今回のテーマから外れるのでそれは後半に少し触れようと思う。
さて、この映画は子供向け映画と思いきや、大人のファンタジーだ。登場人物は主人公の老人以外、全員サンタなんか存在しないと思っている。・・・というか当たり前だよね。僕自身、サンタはいるか?と問われたら、鼻で笑うしかない。でも子供に尋ねられたらどうかな?・・・答えに窮してしまう。少なくとも「いるわけないでしょ!」なんて言いたくないよね。でもここに出てくる母親ドリスは徹底した現実主義者、サンタなんていない。嘘は子供に教えたくないなんて抜かすわけだ。まあ、間違った事は言ってない。それも一理ある。彼女にはそれに固執する理由があるのだろう。そこに自分はサンタと名乗る老人が現れたもんだから、彼女は戸惑いを隠せない。自分の子供が彼を本物のサンタと思ってしまうことを恐れ、自らデパートに雇っておきながら、解雇までしようとする。揚げ句の果てに彼を精神病院にぶち込むきっかけを作ってしまう。彼女は老人を悪い人間とは思ってない。罪悪感を感じながらも、自分の信念も曲げられない。彼女は言う。
「空想を抱いたまま大人になると、現実社会できっと痛い目に遭う。白馬の王子様と結婚したつもりが・・・」
この台詞で、彼女がかつて辛い結婚生活を送っていたことが想像できる。つまり、自分の娘には同じような目に遭わせたくないわけだ。よくある話だ。母親の過去を背負わされてしまう娘はたまったもんじゃない。
そこで登場するのが、彼女に恋心を抱く駆け出しの弁護士、フレッドだ。彼は彼女のそんな頑な心を解きほぐしたいと思っていた。そして老人に言う。
「あなたがサンタであることを証明するために闘いましょう!」
かくして前代未聞の法廷闘争が繰り広げられる事になる。この映画の面白いのは、この映画がサンタの実在を巡る法廷サスペンスだということにある。まあ、ここのやりとりは書かないでおく。実際、自分の目で確認してほしい。見事なオチが用意されてるよ。
さて、そんな弁護を引き受けたフレッドは、雇われていた事務所から解雇されてしまう。そんな勝ち目のない弁護をするならクビと言われ、彼はあっさり辞めてしまうのだ。個人事務所を作ればいいと言う彼に、ドリスは厳しく言い放った。
「現実的になって!彼がサンタだなんて証明できるはずないわ。簡単にキャリアを捨てて、誰もあなたなんかに仕事を依頼しないわ!」キツい言葉だけど、彼女なりに心配してるのだ。
彼は寂しそうに尋ねる「僕を信じられないんだね?」
「信頼よりも、常識の問題なのよ」
彼も負けじと言い放つ「常識よりも大切なのは、信頼なんだ!」
常識か信頼か? これは難しいところだよね。僕らは基本的に常識を重んじながら生活をしてるんだけど、時にこの命題を突きつけられるかもしれない。例えば、親友が殺人罪で捕まったとしよう。世間では彼が犯人とされる中、直接その親友から「俺はやってない。信じてくれ」といわれた時、僕たちは彼を信じてあげられるだろうか?問題は事実から離れる。信頼という目に見えない絆を信じれるか否かだ。
彼は続ける「あの老人は愛や優しさなど目に見えない大切なものの代表であり、象徴なんだ。この裁判はそれを守るための戦いなんだ。」サンタクロースが象徴するもの。それは人を愛する気持ちや、優しさ、施しの心、など目には見えない善良なもの。科学的に論理的に証明できないものを意味してるのだ。だからこそ、大人はその存在を子供に信じさせてあげたいと願う。サンタを通して、信じる訓練をさせているのかもしれない。だって、そういったものが宿っていないと、疑いだらけの人生になってしまう。殺伐としたものになってしまうからね。人は大人になれば、確かにサンタなんていないことは解っている。でも目に見えない善良なものを信じる心はきっと残っているはずなのだ。
ドリスは反論する「そんな子供じみた事、現実の世界じゃ通用しないわ。」うん、これも一理あるよ。これが原因で人に騙されて、人生を台無しにしてしまうこともあるかもしれない。この世には悪意や欲望が渦巻いているからね。人を信じなければ、そんなものに騙される事もないかもしれないのだ。
彼は事も無げに言い放つ「君の現実的な考えは今に通用しなくなるよ。その時に、目に見えないものの価値に気付くよ、きっと」それでも結局、辛い時に助けてくれるのは、そういった人間の心なんだと彼は言う。「素晴らしき哉、人生!」のラストなんてまさにこれだ。人が厳しい現実に直面した時、それに立ち向かえる力の源は、目に見えない愛と優しさなんだ。それがあるからこそ頑張って乗り切っていけるんだ。だから、それを信じる気持ちが一番大事なことなんだと。
彼女は反発しながらも、彼の言葉が胸に突き刺さっていた。そして娘が無邪気に老人を思いやる様子を見て、彼女は決心する。「私も彼を信じてみよう」
この映画も、「素晴らしき哉、人生!」同様、決して宗教的な描き方はしていない。目に見えない善意を、神に置き換えることもできるが、あくまで人間の善意をテーマに持って来ている。これのお陰で映画としての普遍性を獲得しているのだろう。今も尚、愛される理由ではないかな?

余談だが、この映画は有名なデパートMacysの全面協力で作られた宣伝映画の側面を持っている。面白いのは映画の中で、デパートは商業主義が蔓延してクリスマス精神が失われていると自己批判していることなんだよね。
実際のMacys 今も健在だ。
もちろん、老人の登場で、彼らはそれを反省して、もう一度クリスマスの精神に立ち返ろうとする。例えば、今までは余った在庫を売りつけるようなことをしてたが、お客の立場になって商品を探してあげる。自分たちの店になければ、ある店を紹介したりするのだ。本当にやってたの?と思ってしまうが、ここがイメージアップの宣伝になってるわけだ。そんな映画が名作として残ってるなんて珍しいと思う。

この映画の子役のヒロインは、後にウエストサイド物語や、ジェームスディーン主演の理由なき反抗のヒロインだったナタリーウッドが演じている。こまっしゃくれた雰囲気がとても可愛い。
 恋多き多感な女優として有名だった。これはウエストサイド物語の頃かな
しかし、彼女は42歳の時、非業の死を遂げる。映画の撮影中、ボートから落ちて水死してしまったのだ。この事件はスキャンダラスに報じられた。自殺は考えにくく、一緒にいた夫や、撮影の共演者も容疑者になった。結局、事故死と片付けられたが、今だ真実は闇の中だという。

さて最後にリメイク作について、少し触れたいと思う。オリジナルがあまりにも有名なのにどうして、わざわざリメイクしたのだろう?
おそらく、子供向け作品として作りたかったんじゃないかな? オリジナルは僕から観れば大人の視点で描かれた作品。サンタがいないという前提だから、あまり子供には見せたくないシロものなのだ。でも話としては面白いので、子供が安心して観られる作品、子供の視点を生かしたものに変更したのだろう。その結果は?・・・・・・

個人的感想を言うなら、あまり成功してるとは思えなかった。でもそれなりのレベルはクリアしているんじゃないかな。基本的に同じ話なんだけど、変更点をいくつか挙げてみよう。

オリジナルではサンタと思い込んでる実在の老人としてきちんと描いている。住んでる老人ホームと、その関係者も出てくる。リメイクでは同じ設定でありながらも、その辺は曖昧に描いている。ホームの様子も見せないし、もしかして本当にサンタ?という要素をオリジナルよりも散りばめている。

子供に見せるなら、それくらいの演出があってもいいのかな。許せる範囲だと思いました。 

オリジナルでは、母親と精神科医が悪者的役割を担い、老人は精神病院に強制収容されてしまう。リメイクでは母親はそれほど悪く描いてはおらず、ライバルデパートのボスが黒幕になって、老人に暴力事件をでっち上げる。老人は警察に拘留されてしまう。

精神病を持ち出すのはデリケートな問題なので、あえてその要素を外したのでしょう。でも暴力事件もどうかと思う。他にいい方法があったのでは・・・ 母親を悪く描かないのも、子供達の気持ちや母親の立場を配慮したのだと思います。

裁判での解決オチが全く違う。

有名な作品なので、オチは変えたかったのでしょう。鮮やかではあるが、ちょっと引っかかる。オリジナルが宗教的匂いを排除しているのに対し、リメイクは神という言葉がでてくるのだ。深い意味はないにせよ、少し気になった。(普通に観る分には気にならないと思うよ)
とまあ、他にもあるんだけど、この3つが一番変わったところかな。確かに観やすくはなってます。カラーで綺麗な映像だし、話も解りやすくなっている。子供にみせるなら、やはり・・・後者なのかなあ。でもいつかオリジナルをみせてあげてほしいと思います。
次回に続く。 いい加減まだ続いてしまう。ダメだ。長いのは直らんな。