闇の世界から来たトリックスター 

つい先日、飯島愛が亡くなったというニュースが飛び込んできた。死亡して数日経って発見されたというから、世間的には淋しい最期だったということになる。自殺の可能性も指摘されているけど、そうじゃないような気がする。彼女の書いていたブログを少し読んだら、鬱病で苦しんでいたとはいえ、禁煙をしてたり、HIV検査を受けようとしてたり、生きようとしていた人の文章に思えたからだ。
僕は彼女にある種の感慨があったりする。別にファンだったというのではなく、むしろ、あまりいい感情は持っていなかった。彼女の登場は一つの革命だった。アンダーグラウンドの世界とテレビ界の間にあった溝に大きな橋を架けた象徴的存在のように感じていた。
彼女はとても頭のいい人だったと思う。そのトークには毒の効いたユーモアがあって、センスに溢れていた。かなりの修羅場を経験し、苦労してきたようなので、他人の気持ちも判るし、配慮もきちんとできる人だったという。それもあって彼女を慕う芸能人は多く、テレビスターになれる資質は人一倍あったのだろう。そんな彼女を僕は嫌いなわけじゃない。むしろ凄いと思っている。でも一方で彼女の成功は日本のテレビ界を変えてしまうかもしれないという危惧を抱いたのも事実だ。
彼女の登場で、芸能人になる扉は大きく開かれることになった。それまで日本の芸能界はレッテル社会だった。出身とか履歴を重んじ、その規格に合わなければ切り捨てられるような社会。闇の部分を隠すために、嘘で塗り固められた世界でもあった。ある意味、テレビなんて虚構の世界なんだからそれで良かったのかもしれない。芸能界は光の世界であろうとした。憧れの世界であり、簡単には手の届かない世界。そんな秩序を彼女はいとも簡単に壊してしまった。当時、彼女は男なら誰でも知るアダルトビデオ界の大スターだった。その流れで深夜テレビにちょこちょこ出るようになると、それに留まらず、ゴールデンタイムにも進出し、普通のタレントとして女性の人気も獲得していった。書いた自伝的小説も大ベストセラーとなり、映画化もされた。まさしくシンデレラストーリーを地でいっていたのだ。
でも、その頃からテレビ界は彼女がアダルトビデオ出身であることをひたすら隠すようになった。無かった事にしようとした。それが彼女の望んだ事なのか、テレビ側の要求だったのか判らないが、少なくとも両者は嘘を共有する関係になった。たった一つの嘘なんだけど・・・でもそれこそが、彼女の闇になっていったと思えてならない。アダルトビデオに出ていた事実自体が闇なのではない。それを隠そうとする事自体が闇なのだ。彼女はタブーを抱えることになった。共演者もそれには触れようとしなかったし、テレビ界の約束事になっていった。
彼女の人生にとって、たとえそれが忘れたい過去であったとしても、それがなければ今の彼女もなかったはず。そんな重要であるはずのファクターが無理矢理消された事によって、「芸能界はしょせん虚構でしかない」と彼女は高をくくるしかなかったのではないか?。江原氏に霊視された時も、当然その事には触れないので語られた事は全て嘘になってしまう。自らついた嘘とはいえ、回りに対し猜疑心が生まれるだろう。だってみんな知ってるはずなのに、その事には触れないのだ。それが彼女を思いやっての事だとしても、すっぽり本質の抜け落ちた触れ合いにならざるをえない。触れて欲しくないのに触れて欲しい。そんな矛盾を抱えてしまったんじゃないかな。実際、彼女は信頼する人にお金をだまし取られた事があったという。これは大きな精神的痛手になったと思うし、猜疑心に拍車をかけることになったかもしれない。
普通、自分しか知らない嘘を付くことは誰にでもある。それを抱えて生きるのはそんなに苦しいことではない。暴かれるだけが恐怖であり、知られなければそれでいい。でも彼女の嘘は全く違う。殆どの人(特に男)に知られてしまっている嘘なのだ。いっそ、初めからそれを隠さなければどうだったろう。単なる深夜のエロタレントで終わったかもしれない。でも気楽に生きられてたかもしれない。どっちが良かったのだろうか?
とにかく考えられない光景だった。アダルドビデオのスターが政治家と対談したりするなんて、ちょっと前ではありえないこと。闇の世界の住人だったはずの彼女が、光の世界で活躍してるのだ。テレビ界はその成功をきっかけに、レッテルなどを取っ払ってしまった。光の世界から降り立って、面白くて有能なタレントを捜すことに躍起になっていった。もはやなんでもありの状態になった。ゴールデンタイムにキャバクラ嬢やホストが沢山出演し、ゲイやおかまちゃんなどマイノリティーの存在だったタレントも多く生まれていった。彼女,彼らは修羅場を経験してる人が多くて、人間的魅力に溢れた人も多い。当然話も面白いし、お茶の間の人気者になっていった。
「別に構わないんじゃない?」と言われれば、そりゃそうなんだけど、でも違和感は残る。果たしてこんなに垣根が取り払われていいのだろうか?って。キャバ嬢やホストの一日密着とか夜の7時からやってるんだよ。子供だって起きてる時間だというのに・・テレビ界は歯止めが利かなくなってしまった。「面白ければそれでいい」という精神は、揚げ句の果てにスピリチュアル系の番組をゴールデンに帯として放送することにも繋がったように思う。昔からこのような番組はあったよ。宜保愛子とかね。このような番組を外国人が観たら驚くだろう。特にアメリカでは既にスピリチュアル(前世などの輪廻転生論)はほぼ否定されている問題だからだ。このような非科学なテーマを帯で放送するとは、テレビマンのやることではない。せめて深夜にひっそりとやってほしいと強く思う。輪廻転生にはさまざまな問題がある。近い内それについて書いてみたい。
彼女の登場以来、アダルトビデオ業界に限らず、風俗業界も闇の世界でなくなってからは、第二の飯島愛を夢見たごく普通の女性が大きな抵抗を感じないまま門を叩くようになっていった。もちろん、彼女のような才能の持ち主はそう簡単には生まれなくても、有効な伝説だったに違いない。業界からすれば入れ替わりの激しい世界、スター候補さえどんどん現れてくれさえすればいいのだから。
彼女がテレビ界を引退するという話が出て、僕は、きっと「繊細で真面目すぎる人」なのかもしれないなと想像した。嘘から開放されたかったのかもしれないし、単に病気が原因だったのかもしれない、真実は誰にも判らない。彼女はテレビ界のような小さな器で終わるような人じゃないと誰かが言っていた。そうかもしれない。でも彼女は嘘のない現実をこれから生きていきたいと考えたんじゃないかって勝手に思っていた。彼女が欲しかったのはそれだけだったんじゃないかって・・・
彼女の死を報じる中、本名を初めて知った。大久保松恵さん。彼女のイメージとは程遠い雰囲気の名前だ。どうして松なんだろう?彼女がどういう生い立ちか僕は知らない。でもこの名前を彼女は憎んだんじゃないかな?過去も名前も一緒に捨てたかったんじゃないかって、ふと思った。ここまでが僕の描いたストーリー。全くとんちんかんな想像かもしれない。だとしたらごめんなさい。
彼女の死を報じるテレビで彼女の経歴が語られていた。やはりアダルトビデオの事は一切触れられてなかった。それは配慮なのかもしれないが最期まで、嘘の人生を語られる彼女がとても哀しく思えた。ご冥福をお祈りします。
今回は軽々しく写真は使いたくなかったので、文字のみで書かせてもらいました。