「地球が静止する日」その1 リメイクについて

地球が静止する日年末に観てきた。突っ込みどころ満載の残念な映画だった。でもこの映画は1951年に製作されたSF映画の古典をリメイクしたもの。それなりに面白い話のはずだよね。何がダメだったんだろう?
リメイクを作るにあたり、たいていの映画作家は昔のストーリーを現代風に書き換える。もしくは現代的なテーマを盛りこんでいく。特にSFではそういう視点がないと辛い。そうすることで、僕らはその物語に感情移入がしやすくなるのだ。映画ファンなら有名な話だけど、最近の作品からその例を挙げるとアイ・アム・レジェンドって映画があった。実はこの映画、3度目のリメイク。一応最新作のストーリー書いておく。

あらすじ
2012年、廃墟と化したニューヨーク。元米国陸軍中佐であり科学者のロバート・ネビルは、3年もの間シェパードの愛犬サムだけを家族として、動物園から逃げ出したインパラを狩り、公園でトウモロコシを収穫する生活を送り、一日も欠かさず生存者を捜し求めてメッセージを発信し続けていた。なぜならネビルはウイルス感染により、世界人口の60億の殆どが絶滅していくなかで生き残った、ニューヨークのたった1人の生存者だったからだ。

色々変更されている点はあるんだけど、ここは一点、主人公の敵について。この物語は吸血鬼の支配する世界で、たった一人主人公が取り残されるという恐怖を描いている。多数派が少数派に転換してしまう恐怖。それは僕らが持っている恐怖とリンクする。例えば他のみんなはできるのに、自分だけできないって嫌だよね。学校のクラスで自分だけ口を利いてもらえないのもかなり辛い。そんなことなんだけど、誰もが抱く感情だからこそ、この映画に感情移入できるのだ。ただ吸血鬼とはいっても3作とも全くイメージが異なる。ここが時代を映しているのだ。
地球最後の男 [DVD]
映画化1作目『地球最後の男』は1964年。50年代後半から60年代のアメリカは、実存主義が流行って自由を求めるビートニクスと呼ばれる若者のムーブメントが起こっていた時代だ。映画では主人公扮するスーツを着た昔風な紳士を、黒のタートルネックを着たビートニクス風の吸血鬼が襲うことで、時代遅れになってしまう、世代交代という社会的恐怖を反映させている。(映画を観たけど、実際は全員がタートルネックを着てるわけじゃなく、ゾンビみたいな動きをした死人が一杯いるイメージなんだよね。)
地球最後の男 オメガマン [DVD]
映画化2作目『オメガマン』は1971年。当時はモータウンサウンドなどの黒人音楽が人気になっていた。ブラックパンサー党新アフリカ共和国といった過激派の政党が現れ、白人社会をひっくり返してやろうと暴動が起こったりして、ブラックパワー・ムーブメントが起こっていた。映画では、主人公の白人を吸血鬼の黒人が襲うことで、黒人パワーに恐怖する白人の恐怖を反映させている。
アイ・アム・レジェンド 特別版(2枚組) [DVD]
映画化3作目『アイ・アム・レジェンド』は2年前、荒廃した未来を描いているが、これは恐らく世界に嫌われ孤立するアメリカそのものを表現しているのだろう。主人公の映画における行動はまさしくイラク戦争アメリカ兵士がイラク人達にやってることと同じ。テロリストを見つけるために、勝手に家宅侵入したり、軍用犬連れて捜索してるのは実際あったことだ。ここで描かれている吸血鬼は普通に化け物なんだけど、これはアメリカ人がイラク人やイスラム教徒に対して抱いている感情そのもの。所詮訳の判らん化け物程度の認識しか持ってないってことでしょ?そして正義のためにやってたつもりが、世界から観れば悪として批判される始末。もはや完全に嫌われている。日本くらいでしょ?アメリカをまだ好きな国なんて・・
でもこの映画、ラストシーンにお偉いさんからクレームがあったらしく、完全に撮り直しをして差し替えてしまったというのだ。最後、主人公の家に化け物達が一斉に襲ってくる。その展開が全く異なる。どうしてそんなことを?何がお偉いさんを怒らせたのか?別エンディングがWEB上にあるのでぜひ観てほしい。どちらがいいか見比べて判断してみて。
これが劇場公開されていたエンディング

これが別エンディング

英語が判らなくても、なんとなく判るよね?全く違っている。
アメリカ万歳公開版 主人公はワクチンを親子に託し、化け物もろとも爆死する。(イラクアメリカ人兵士も沢山死んでいる)彼は人間にとって「伝説」的存在となり、わずかに残った人間達は希望(ワクチンだね)を胸に新たな人間の世界を再生させようとする物語。
アメリカ批判別バージョンは主人公が化け物たちにも意思や愛する気持ちがあることを知り、愕然とする。そして彼こそが化け物たちにとって怪物であり、「伝説」的な存在だったことを思い知る。
伝説の意味合いが全く異なってくるよね。これって自己を肯定するか、批判するかで立場は違ってくるのだ。つまりお偉いさんはアメリカのやってることは間違いじゃないって信じたい人達なんだね。だからウィルスミスが化け物に謝ったりするなんて許せないわけだ。今更イラク戦争が間違いだったなんて口が裂けても言いたくない人達がお金を動かしてるのだからどうしようもない。(でも当時は一般のアメリカ人もほとんどはイラク戦争は正しいと信じてたらしいから、これも世相の反映といえるのかもしれないけどね。)でもこれでは全くおめでたいだけのお話。肯定=現状維持。何も変える必要はないのだ。人は自己批判からしか獲得できないものがあるのだ。このままでいいのか?って問題を突きつけられて、人ははじめて考える。間違いを正し,よりよき未来を模索しようとする。それこそが胸騒ぎとなって、観賞後の余韻を生み出す事になる。僕らは外国人に対し、偏見を持っていないか?彼らにも愛する家族がいて、平和を望む心があるということを忘れてないか?具体的にではないにせよ、内なる自分に問いかけるきっかけになるのだ。これは日本人の僕らにもリンクできるよね。例えば北朝鮮や中国に対してそういう感情を持っている人は多いと思う。国じゃなくても特定の団体とかね。ともかく映画でスカッとしたいなら公開版なんだろうけど、後には何も残らない。やっぱり僕は別バージョンの方が深い話になると思うんだけど、どうだろう?
実際、今になってみると、アメリカがことごとく間違いを犯していたことが白日のもとにさらされてしまったよね。アメリカはオバマ大統領を生み出し、YES WE CAN!と叫びながら、やっと変革を模索しはじめた。もしこの映画が今公開されていたら、きっと別バージョンで公開されていたんだろうね。
猿の惑星 BOX SET [DVD] ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド 新訳版 [DVD]
この物語はこれらのリメイクに限らず、他の有名な作品にも多大な影響を与えた。例えば猿の惑星これは吸血鬼が猿だったらって話だし、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドも死者が蘇るという形でその恐怖を描いている。他にも沢山あるけど、きりがないのでこの辺で。ここらへんの話はすべて映画評論家の町山氏によるものだ。大変勉強になる。
というわけで、リメイクを観る時は、どうして今これを作ったんだろう?という視点があればより面白くなると思う。いつも引き合いにだして申し訳ないが「私は貝になりたい」はそのへんどうなんでしょうね?まだ「地球が静止する日」に触れてないんだけど、これ以上書くと長くなりすぎるので、次回に続きます。