「地球が静止する日」その2 アメリカの行く末?

前回の続き。それでは地球が静止する日のリメイクをするに当たって、制作者は何を考えたんだろう?
第一作目は1951年に作られ、SF映画の古典として有名な作品。でもマニアでない限り、ほとんどその内容を知る人はいないと思う。僕自身、タイトルを聞いた事がある程度。なので簡単に調べてみた。下に動画とあらすじを用意したのでご覧あれ。


あらすじ
ウォシントン上空に奇怪な船体が現われ、着陸するとクラートゥ(マイケル・レニー)という、奇妙な服をまとい英語を喋る男が現れた。彼は他の遊星から飛来し、危害を加えるものでないと云ったが、警備兵は彼に向かって発砲した。すると船体から巨大なロボットのゴートが現われ、周囲の武器をすべて破壊しようとした。だがクラートゥはロボットをとどめた。彼は大統領秘書に、地球上の指導者たちが他の天体の征服を企画する限り、他の遊星からの攻撃を受けるから忠告したいと申し入れた。だが指導者たちは彼と同席することを拒んだ。クラートゥは姿を消した。実は彼は普通の服を着、仮名を使って宿屋に住み着いたのであった。彼は美しい戦争未亡人ヘレン(パトリシア・ニール)とその息子、それに彼女の許婚トム(ヒュー・マーロウ)と知り合った。有名な科学者バーンハート教授(サム・ジャッフェ)1人が、クラートゥの使命遂行を助けた。クラートゥは使命の重大さを認識させるため、翌日の正午に世界中の電気を止めてみせたが、彼の意図は誤解され、クラートゥを逮捕せよと命令が出された。トムはクラートゥの本体を知り、軍隊に通報した。逮捕されるとき、クラートゥは致命傷を負った。ヘレンは彼から托されたタブーの文句をゴートにきかせ、ゴートによる市の破壊は免れた。ゴートはクラートゥをとりかえし、彼は生き返った。地球の科学者会議が開かれ、一同はクラートゥの警告を受け入れた。クラートゥはヘレンらに送られて再び地球を去って行った。

なるほど。一作目のあらすじを読む限り、かなり雰囲気の違うものだったんだね。最新作では最高のSFXが駆使された同様のシーンもいくつか見受けられたけど、現在のアメリカを反映させたことで全く違う物語になってしまったようだ。ここではアメリカという国をどう描いてるか?その1点に絞って書いてみたいと思う。(全部,書いてたらきりがないからね)一応、ネタバレ覚悟。
一作目は、アメリカも対話を重視していたらしく、各国と連携しながら宇宙人とコミュニケーションを計っているようだ。でも最新作は全くそうではない。宇宙人の話には聴く耳を持たず、ひたすらに攻撃を仕掛ける。観ていて「バカ」にしか映らない。しかも大統領は全く画面には出てこず、国防長官が電話で指示を受けながら攻撃の指令を出しているのだ。初めはどうしてこんな設定にするのだろう?と思った。でも考えてるうちに解ったような気がした。
ブッシュお前だったのか!?
この大統領はブッシュなんだね。ブッシュならどこかに隠れてるだろうって脚本家は考えた。ブッシュ政権はチキンホークと呼ばれている。訳すと「戦争好きの臆病者」。だから宇宙人におびえて隠れ家で電話で指示してるのだ。しかも一方的に悪と決めつけて攻撃するところなんてイラク戦争そのもの。「インディペンデンスデイ」に出てくる大統領とは大違いだな。軍用機に自ら乗り込んで宇宙船に攻撃してたからね。なるほど、面白いんじゃない?とにかく映画でのアメリカはやる事為す事バカ丸出し。本当に観ていて腹が立ってくるほどだった。まあ、これも今のアメリカを象徴しているのでしょう。ブッシュ政権イラク戦争金融危機など、どれも間違いだらけの政策で、アメリカをどん底に突き落としてしまったんだからね。まさに悪夢としか言いようがない。
でもここで救世主が現れるんだよ。ジェニファー・コネリー扮する生物学者だ。彼女が唯一、キアヌ・リーヴス扮する宇宙人の話を聞こうとするのだ。キアヌは言う。
「地球を救いに来た。このままでは地球は滅んでしまう。人類が滅亡すれば地球は生き残ることが出来る」
第一作目の頃は米ソ冷戦真っ直中で、核戦争の恐怖を描いていたけど、今回は環境問題だ。まあ現代的なテーマだよね。人間は環境を壊す元凶であることは間違いなく、反論の余地はない。彼は人間を滅ぼす間、人間以外の動物を一時的に宇宙に避難させようとする。これは聖書の「ノアの箱船」をSF風にアレンジしたものだね。

聖書物語に出てくるノアの箱船。神が人間を戒めるために大洪水を起こし、その間動物達を船に避難させたというお話。
でも彼女はそれに対し、この言葉を何度も繰り返して訴えるのだ。
「私たちはきっと変われる。だからそのチャンスを頂戴!」
出た!この感じって聞いたことありません?YES WE CAN!
CHANGE! CHANGE! CHANGE!
えー!彼女ってオバマだったんだ?オバマの登場で地球が救われるって話だったのか?これ・・・いやあ、まいったね。そのアイデア悪くないと思うけど、そうするならもっと脚本の詰めをしっかりやってもらわないと腰砕けちゃうよ。とにかく彼女は根拠もなくそれしか言わない。生物学者という設定を全く生かす事なく、浪花節一本やりでキアヌ君を納得させちゃうのだ。(いっそ、普通の主婦という設定にしたほうがマシ)これじゃオバマの未来も先行き暗くなっちゃうなあ。実際、彼に課せられた問題はかなり大きい。しかもアメリカ人は短気らしいから、なるべく早く結果を出さないといけない状況にあるのだ。フィーバーの反動は大きいよ。大丈夫かな。なんだかんだ言って、アメリカがこけたら皆こけるからね。頑張ってもらわないと・・・
そんなわけで、この物語はもし今アメリカに宇宙人がやってきたらというシミュレーションムービーでした。しかしキアヌ君扮する宇宙人が地球人の事を何にも知らなかったとは驚いた。ものすごい高度な文明と、時間もたっぷりあったというのにもう少し事前に調査できなかったのかね?彼女が自分の養子と泣きながら抱き合ってるのを見て、人間に可能性を感じてくれたとは実におめでたい。来たのが彼で良かったなあと思うしかない。
更に書くと、ジェニファーの養子役が何故か黒人なんだよね。知ってる人も多いと思うけど、ウィル・スミスの息子だという。次の映画に出る条件として、無理矢理ねじ込まれたのかなあ。だって地球の危機だってときに、「何故ジェニファーの子供が黒人なのか」という、余計としか思えない説明的な台詞やシーンに時間を割くなんてもったいないでしょ?これって脚本家も頭に来たんじゃないかなあ?もっと描きたいことがあったはずなのだ。その怒りが脚本に現れてると僕は思ったね。かなりこまっしゃくれた嫌な子供として描いているのだ。「ざまあみろ!」ってな感じ。とにかく観ていていらついたよ。これって演技じゃなくて素なんじゃないのって・・。「この大変な時にワガママ言ってんじゃねえ!」って観客はほとんど思うんじゃないかな?
当のアメリカでは大コケしてるらしいこの映画、今のアメリカを描こうとしたのは評価できるけど、それをくそまじめにやった事が失敗だったんじゃないかな?だって出てくるキャラが全員バカなんだもん。これでシリアスやられてもね。腹が立ってくるだけで何も共感できない。いっそ、SF風刺コメディにすればよかったのに。だって今のアメリカって笑うしかない酷い状況なんだから・・・それにこの話。2年前に公開されたファンタスティック・フォー:銀河の危機』とほぼ同じ内容。ただこちらにはスーパーヒーローがいるからね。そのお陰ですっきり観れるんだけどね。(映画としては普通だと思う)これってパクリってことにならないのかね?今回はここまで。
銀色の人がキアヌと同じ立場になるキャラ