映画の中のユダヤ人 2 プロパガンダ映画編

アウシュビッツ・コンプレックス」という言葉があるのだそうだ。もちろんユダヤ人特有の強迫観念を指すんだけど、つまり「油断したら、またアウシュビッツのような悲劇に見舞われるかもしれない」という感覚が常にイスラエルユダヤ人を支配しているということらしい。
第二次世界大戦以前、彼らはインテリで、商才に優れ、経済的に豊かだった。いわば勝者だったにも関わらず、ホロコーストのような悲劇にさらされてしまった。どうしてそんなことになったのか?答えは明白だ。彼らの持っていなかったもの。それが国家であり、軍事力なのだ。彼らの願いは一つになった。「今こそ、あの約束の地に我々の国家を建設しよう!」こうしてパレスチナへの脱出大作戦が始まった。
最初に紹介する映画は栄光への脱出。その脱出劇を感動的に描いた超大作で3時間半もあるのだ。主演は去年亡くなった若かりし頃のポール・ニューマンユダヤ人だとは知らなかった。ちょうど彼が人気が出始めた頃で、この後「ハスラー」や「スティング」で大人気俳優になっていくのだ。
史実を基に作られた物語なんだけど、かなりユダヤ人を美化した内容になっている。もちろんパレスチナ人は悪者。いいパレスチナ人も登場するんだけど、別のパレスチナ人(ナチスの残党が黒幕)に惨い殺され方をするんだよね。これはもうプロパガンダ映画と言っていいでしょう。
注 プロパガンダ映画(Propaganda film)は、政治的宣伝を目的とした映画の総称であり、観客に政治的な思想を植えつけることを目的とする

栄光への脱出1960年制作
 
あらすじ
1947年、パレスチナへ渡ろうとするユダヤ人たちでキプロス島の収容所は満杯だった。しかしアラブ人たちとの衝突を懸念する英軍が移送をためらううち、英軍将校にしてユダヤ人地下組織のリーダー、アリ・ベン・カナン(ポール・ニューマン)の下、ユダヤ人たちは「エクソダス」号船上でハンストに入る。英軍の将軍と知己の米人女性、キティ(エヴァ・マリー・セイント)は看護婦として船上で手伝ううち、自分たちの国を作りたいという彼らに共鳴していく。

第一次世界大戦中の1917年バルフォア宣言というイギリスの公式声明が発表された。その内容は、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)の建設に賛意を示し、その支援を約束する」というもの。どうしてこのようなものが出たのか?当時、戦争で苦境に立っていたイギリスにはユダヤ人の大資本家。ロスチャイルド家が君臨していた。政治的にも、経済的にも発言力のあった彼らに媚を売ることで、ユダヤ人の派兵、経済援助を引き出そうとしたってことらしいんだよね。このことがユダヤ人のパレスチナ移住に結びついていくんだけど、イギリスはパレスチナ側にも国家承認の約束をしていたから話はややこしくなる。まあ、イギリスの二枚舌が招いた悲劇ともいえるのだ。
第二次世界大戦後、ユダヤ人が大量にパレスチナに流れていく状況に、イギリスは焦ったね。だってパレスチナ人は危機感を抱くよね?「約束が違うんじゃないの?」間違いなく争いに発展するのは目に見えている。だからイギリスはユダヤ人の入国を制限した。(イギリスの威信を世界に示す意味もあった)ユダヤ人も黙っちゃいないよ。「約束が違うんじゃないの?」イギリスは両者の板挟みになってしまったわけ。失策とはいえ、あの状況じゃ足止めするのも仕方ないかなと僕は思うんだけど、この映画では当然イギリス人は悪者。収容所にすし詰め状態で閉じ込められているユダヤ人を描くことで、イギリスの冷徹無慈悲ぶりを描いていくんだよね。
そこへ登場するのがポールニューマン演じるアリ・ベン・カナン。この英雄、どうも架空の人物らしい。彼はヒーローのごとく、持ち前の知恵と行動力でユダヤ人の大脱出を計るんだけど、イギリスは断固出航させない。ユダヤ人は命がけのハンストを行って、我慢較べになっていく。ここでユダヤ人の国家建設への強い想いが思い存分語られる。世界も彼らに同情し、観ている僕らも彼らに同調するように描かれていく。そして英国はとうとう根負けしてしまう。ユダヤ人のパレスチナ上陸が許可されたのだ。船上はお祭り騒ぎ。めでたしめでたし。
実際のエクソダス 船上のユダヤ
まあ、これはかなり綺麗ごと。別にイギリスは情にほだされたわけじゃない。実際はパレスチナに住むユダヤ人によるイギリスへのテロ行為が激化したことも背景にあるんだよね。その上、パレスチナ側もイギリスに対しテロをするもんだから、もう手に負えなくなっちゃったわけ。国連に丸投げしちゃったのだ。そうなったら、もう無法地帯。後はユダヤ人とパレスチナ人でやりあうしかない。
話はここで終わらない。ユダヤ人がパレスチナに上陸すると、キブツと呼ばれる入植地に向かう。(集団農場と思ってもらっていい)既に入植していたユダヤ人達によって開拓された村なんだけど、実に健全そうな人ばかりで理想的な社会を築いているように見える。何やら気持ち悪い新興宗教団体みたいなんだよね。ここで新たな入植者は盛大な歓迎を受けるんだけど、そこに善人そうなパレスチナ人が何故かいるのだ。村長曰く「彼の父が善意で土地を譲ってくれたのだ」と・・・ほぼありえないでしょ?そんな綺麗ごとは流石に通用しないよ。実際は虐殺によって土地を奪ったのだ。それは酷かったらしいよ。ちゃんと記録にも残ってる。たくさんのパレスチナ人の村が破壊され、その残骸を今でも見れる場所があるのだそうだ。
 農場を開墾するユダヤ人  キブツの住宅
やがて国連がパレスチナ分割を可決したことでユダヤ人の国イスラエル共和国が誕生することになった。喜びに沸き立つユダヤ人。でもそれは同時にユダヤ人とアラブ諸国の争いが本格化することを意味するよね。ここからは自由を守るために闘うユダヤ人と、それを邪魔するパレスチナって構図で展開されるのはお約束。パレスチナ人は可愛い少女は殺すわ、善良な同胞は殺すわ、残虐の限りを尽くす。片や、ユダヤ人は応戦するのみ。あくまで正義を貫き、平和を願うのだ。そしてヒーローは死んでいった仲間の墓の前で宣言する。「いつの日か、アラブ人とユダヤ人に死者同様の平和な日々を訪れさせると!」って虚しくなってくる台詞を吐いてこの映画は終わるんだよね。またまたあ、そんな気ないくせに〜。それともこの頃は本気でそうするつもりだったの?いやいや、それはない。でなきゃ、あんな酷いことをし続けるわけないと思うんだけど・・・
とまあ、ユダヤ人を善良な民族として描いたのでした。現実はむしろ逆だと思うけどね。ちなみに主人公と恋に落ちる女性はアメリカ人だ。初めは主人公の行動に疑問を持っていたのに、最後にはユダヤ人と一緒になって、銃を肩からかけた兵士の姿になっている。アメリカも仲間ってことなのかね?
他にも似たような映画は作られた。カーク・ダグラス主演の「巨大なる戦場」。彼もユダヤ系の俳優だ。この映画もユダヤ人を美化して描かれた作品。長くなるので紹介に留めておくね。

「巨大なる戦場」
 
あらすじ
 実在の人物ミッキー・マーカスの伝記を下敷きに、第二次大戦後のパレスチナアラブ諸国の圧力を受けるユダヤ人の独立運動を指揮する元米軍将校を描いた戦記ドラマ。
 第2次世界大戦後のパレスチナ。イギリス軍の撤退をきっかけに、アラブ諸国ユダヤ人の排斥に動き出した。ユダヤ人はそんな圧力に対し、民族独立のため戦い始める。そして、今は退役してニューヨークに住んでいる元大佐マーカスへ、その独立戦争の指揮依頼が舞い込むのだった。戦時の手腕を買われた彼は、愛する妻を残し現地へ赴く。やがて、独立運動の組織作りに取り掛かる中、美しい女性マグダと出会うマーカスだが…。

こうして彼らは自分の国と軍隊を手に入れた。それでも彼らにはトラウマが根深く残っていた。冒頭に触れたアウシュビッツ・コンプレックス」。どんなに軍備に力を入れても安心できない。だからパレスチナに対し、過剰な反応を起こしてしまう。何故、彼らがあんな小さな集団、ハマスをあれほど恐れるのか?それは明白だ。どんなに小さかろうと、もし核を手に入れたら危険度は限りなく高くなるからだ。だから物資の流れには異常な程、気を使っているはず。協力関係にあるイランや、アルカイダなどから核が渡らないように最善の努力をしているのだ。もし仮に核が渡ったら、ほぼ間違いなくハマスは躊躇なくテルアビブに核を落とすだろう。少なくともイスラエルはそう考えている。
昔ならプロパガンダ映画を作ったり、情報操作で世界を欺くことはできたかもしれない。でも今やインターネットの時代。そんな嘘は通用しないのだ。(テレビのニュースは相変わらずだったりするけど・・)イスラエルが今までと同じように残虐な行為を繰り返すならば世界の見る目は明らかに変わっていくだろう。可哀想な民族から極悪非道な民族へと・・・ 今回はこれまで。