「イスラエルのガザ侵攻」ってどういうこと? その1 紀元前〜第二次世界大戦直後

年末に起こったイスラエルのガザ侵攻」ってニュース。興味ある人ってどの位いるのだろうか?宗教と民族問題が絡むと、日本人にはあまりピンとこない話。中東ではこんなことしょっちゅう起こってるから「またやってるな」って感覚の人が多いんじゃないかな?実は僕も内情は詳しくなかったりする。「ガザ」ってどこにあんの?そもそも何故イスラエルは侵攻したわけ?新聞にも特集を組んでたりするけど、いまいち解りにくい。この問題をイスラエル建国時代から説明されても本質は見えてこない。聖書の時代。紀元前に遡る必要があるんだよね。
まず事態を複雑にしている要因に民族の定義がバラバラだったりすることにあると思うんだよね。民族は血縁的・文化的・地域的・宗教的なことで分類するための呼び名だったりするので、それが混在して使われると訳が判らない。ユダヤは宗教的名称で、ユダヤ教を信じる人達」が一般的。他にユダヤ人を親に持つ者」という血縁的意味も含まれるんだけど、もはや血なんて混在してしまっているので外見じゃ判断できない。だってユダヤ人は昔から流浪の民であって、世界中に散らばっているからね。その間に他民族の血が混ざってしまうのは必然でしょ?アラブ人は宗教的.文化的名称でアラビア語を話し、イスラム教を信じる人達」を一般的に指す。もちろん例外もあってイスラム教を信じてない人もいるそうだ。ごく僅かだろうけど・・そしてパレスチナは地域的・文化的・宗教的名称、でパレスチナに住むアラブ人」を一般的に指す。つまりパレスチナ人とアラブ人は同じ民族だってこと。このへんを踏まえておかないとダメなんだよね。
 
左上の地図を見てもらうと、イスラエルってかなり小さいよね。ここが唯一ユダヤ人が集まってる場所。その周りの国はほとんどアラブ人と思っていいでしょう。これだけでかなりやばい雰囲気。右上はイスラエルの地図。ここにパレスチナ自治区ってのがある。そこに今話題の「ガザ」があるんだけど、これもどう考えても、詳しいこと知らなくたって、やばいでしょ?どうしてこんな事になってるんだろう?みなさん知ってます?詳しく知ってる人は世界通だと思う。この先読まなくてもOK。間違いチェックしないでね?
実際はとても複雑な問題なんだけど、ざっくりあらましを書いていく。紀元前からの話だからね。
要は聖書に書かれていること。これを宗教的に見るか、物語として見るかは自由。ただこれを熱烈に信じている人達が世界の大半を占めているということを忘れてはならない。なので一応、事実として書くよ。
舞台は古代エジプト。そこでユダヤ人は平和に住んでいたんだよね。(当時はヘブライ人とかイスラエル人とか呼ばれていた)でも新しい王になると、事態が一変してしまう。信頼する予言者からユダヤの民がエジプトに災いを起こす」みたいな事を告げられるのだ。王はそれを境に、ユダヤ人を迫害するようになり、滅ぼそうとする。そこで立ち上がるのがモーゼって人、神からユダヤ人をエジプトの地から脱出させよ」ってお告げを受けて、民族大移動を実行するのだ。まあ、これが4千年の争いの始まり。これは映画にもなってるのでとても有名なお話。


そして数十年の年月をかけて辿り着いたのがカナンの地(promised land)この地は「乳と蜜の流れる地」(肥沃で豊かな場所)と呼ばれ、ちょうど今のイスラエルの場所にあたる。当時住んでいた人々から奪うようにして、ユダヤ人の国を建設したんだな。(当然、大虐殺があったのよ)イスラエル王国の誕生だ。(後に2つに分裂)
ほぼ今のイスラエルと同じ場所でしょ?
とまあ、しばらくはうまくやってたんだけど、結局は列強国によって滅ぼされてしまう。戦争捕虜となり、やがて開放されると、大帝国ローマ支配の下ユダヤ属州」として存在を許されることになる。それで我慢すればよかったのに、属州であることに絶えられないんだね。ローマに対し反乱をを起こしてしまうんだな。(バル・コクバの乱)敵うわけないのにねえ。結局それが仇となり、ユダヤという名は地図から消え、パレスチナ・シリアという名称に取って変わってしまう。ユダヤ人達は難民となって世界各方面へちりじりになっていく。
ユダヤ人が去り、この地はパレスチナ地域となったんだね。そしてそこに移り住んできたアラブ人をパレスチナと呼ぶようになったってこと。

それが約2000年続く事になるのよ。途方もない年月だ。ユダヤ人は国を持たない流浪の民となり、終わりなき差別、迫害を受ける事になる。移民が嫌われるのはどこでも同じだけど、特にユダヤ人は目の敵にされた。大きな要因としては2つ。まずイエス・キリストを十字架にはり付けたのがユダヤ人であったこと。これはキリスト教を信じる人達にとっては気にいらないよね。もう一つはユダヤ人に商才があったこと。金貸し業はユダヤ人が最初に始めたというし、経済界を牛耳っていたところがあった。上の地図を見ると、彼らが世界中にネットワークを形成してるのがよく判るよね。その意味で情報戦でも抜きん出ていた民族ということになる。逆境を歩んできた民族の逞しさといったところか。
こうしてユダヤ人への反感が高まるにつれ、彼らの間にシオニズム運動」というのが起こり始める。早い話「あのイスラエル王国のあった場所に戻って、国を再興させてえなあ!」って事。眠れる獅子が目を覚ますように、経済的に豊かになったユダヤ人達は、パレスチナの土地に移り住むようになっていく。パレスチナ人からすると不気味だよ。「お前ら、何企んでんだよ!」って感じ。日本人なら,対馬の土地を韓国人が買いまくってることを連想すればいいと思う。そして更にその行動に拍車をかける事態が起こってしまう。世にも恐ろしいドイツ・ナチスによるホロコーストユダヤ人大虐殺)だ。

当時ドイツは不況に喘いでいた.ドイツ国民は仕事に就けず、その原因を銀行を牛耳っていた裕福なユダヤ人のせいにした。その怨念がナチスを生んだといっても過言ではないだろう。国民支持のもと、ユダヤ人大虐殺が始まった。パレスチナに逃げたユダヤ人も多くいたけど、それでも600万人が殺されたという。(確かに強制収容はされたけど、アウシュビッツの大量虐殺はないという意見もあるということを書いておく)
アウシュビッツ収容所
でもこの大きな犠牲が、ユダヤ人の一つの光明をもたらした。イギリスをはじめ列強国が、その代償としてイスラエル王国のあった場所にユダヤ人の国を造る事を承認したのだ。かくして1948年、イスラエルが正式に主権国家として建国されるに至ったのだ。
しかし、これを聞いたパレスチナの住民は慌てるよね。「ちょっと待ってよ!勝手にそんなこと決めるんじゃない」
欧米としてはトラブルの火種を追っ払いたかった部分もあるのかな?とにかく、その火種は中東に投げ込まれてしまった。新たな戦乱の幕開けである。続きは次回。